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剛柔流とは

沖縄空手とは

東魁塾旗日本各地に古武術が伝承されているように、沖縄には古来「手(ティー)」という武術があったようです。
その「手(ティー)」と中国伝来の「拳法」が融合し、発展したものが、空手の原型と言われています。
その空手が沖縄で大きく発達したのは、尚真王(1477~1526)の時代に、武士階級が首里に集中して住むことになると同時に刀狩が実施されたことと、1609年薩摩藩による琉球侵攻後の禁武政策がその要因である、というのが定説として今日に伝わっています。
元々空手には現在の流派の概念はなく、型の特色、伝承地名等にちなんで、「首里手」 「那覇手」「泊手」とに分けられていました。

剛柔流とは

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那覇手の中興の祖・東恩納寛量(ひがおんな かんりょう1853~1915)のもとに14歳で入門した、宮城長順(みやぎ ちょうじゅん1888~1953)を流祖とするのが剛柔流です。
宮城長順は師の許可を得て、中国福建省にも拳法修行に行き、著名な武人について研究を重ねました。
その結果、伝授された技術と武道の理念を整理し、体育的・武術的な効果と、合理性・科学性を加味させた近代的な空手道の体系を完成させたのでした。 剛柔流命名の由来は、1929年明治神宮における「御大礼奉祝全国武道大会」で奉納演武をした宮城長順の高弟・新里仁安(しんざと じんあん1901~1945)が流派名を問われたのを機に、宮城長順が中国古文献「武備誌」の「拳之大要八句」の中の「法剛柔呑吐(法は剛柔を呑吐する)」から引用したとされています。
 これは、日本における最初の空手流派名であり、剛柔流は松濤館流、糸東流、和道流と共に、空手道四大流派に数えられています。

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剛柔流の型を大別すると、「基本型」「開手型」「閉手型」に分かれます。
基本型「三戦(サンチン)」は、剛柔流空手の基本であるといわれ、武道に不可欠の「気」「息」「体」の修練を目的とし、威力ある攻防の技を身に付ける為の正しい呼吸と姿勢を養うことを主眼とした鍛錬型です。
開手型には、東恩納寛量伝承の「サイファ」「セイユンチン」「サンセールー」「シソウチン」「セーパイ」「セーサン」「クルルンファ」「スーパーリンペイ」の八つの古流型の他、流祖・宮城長順が国民普及型として創作した「撃砕(ゲキサイ)Ⅰ・Ⅱ」があります。 閉手型として、流祖は中国拳法南派少林拳白鶴拳の六機手をもとに「転掌(テンショウ)」を考案され、「三戦(サンチン)」と同じく、「気」「息」「体」の修練を目的とする鍛錬型とされました。

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剛柔流の型には、いわゆる突き、蹴りに加えて、掛け、押さえ、逆間接、崩し、投げ、打ち、当て等々、近い間合での多様な技が見られます。
遠間の首里手に対し、那覇手の系統に属する剛柔流では、接近戦を得意とし、「ムチミ」と呼ばれる粘りのある動きが特色となっています。型の技(表面技)を、実際の相手に対してどう使うかを明らかにすることを解裁と言いますが、解裁技の中には試合では禁じ手となるような危険な技も多くあります。
ですから空手を修練する場合、他のスポーツのように試合が全てではなく、たとえ現役選手を退いたとしても、その修練に終わりはないのです。

空手道とは生涯武道として、「男女老幼の別なく体質の強弱に由り、適当の型を選び適宜に行ひ得べき事」(琉球拳法唐手道沿革概要 宮城長順遺稿)なのです。